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3.11みやぎ鎮魂の日に寄せて~校長講話より~

3.11みやぎ鎮魂の日に寄せて~校長講話より~

 11年前の3月11日も金曜日でした。
 宮城県北部にある気仙沼市で被災しました。その時校長先生は,小学校3年生の担任の先生でした。5時間目が終わり,6時間目に入ったとたん,校舎が壊れるかと思うほどの大きな揺れに襲われました。
 それまでは,「地震は長くても1分待てば収まる」と思っていたのですが,とてつもなく長いのです。いつまでたっても収まりません。教室の子供たちも,騒ぐどころが,机の下にもぐったはいいが,どうしていいか声も出ませんでした。
 一瞬ゆれが収まり,「大丈夫か?」と子供たちに声を掛けたとたん,さっきよりも更に大きく感じる地震がまた起こりました。おそらく前後併せて5分近かったと思います。収まってからすぐの音声が残っていたので,聞いてください。(先生,これ宮城県沖地震?かもしれないね。でも,校舎は丈夫だから大丈夫だよ。♫すぐに,校庭に……)
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 最後の方,ちょっと緊迫した感じしたでしょう。
 校庭に避難した直後,今度は大津波警報が「ウーウーウー」と鳴り,小学校よりも高い中学校へ子供たちを避難させました。そして,地震から約50分を過ぎた頃から,校長先生のいた気仙沼の町は,大津波に襲われます。ガス,水道が止まりました。電気も止まりました。夜になり辺りは真っ暗でした。ですから3月11日の夜は,不気味なくらい星がもの凄く明るかったことと,夕方から雪が降り,とても寒かった記憶があります。
 翌日から,二人一組になって,子供たちの安否確認に歩きました。車は,ガソリンが手に入らなくなっていたので,極力使いませんでした。変な話ですが,この経験が,今でも校長先生,車のガソリンのメモリが2つでも減ると,満タンにしなければと,ガソリンスタンドに向かいます。
 翌日みた道路の様子が,これから見てもらう写真です。

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 ①学校の前にあった田んぼに,船が打ち上げられた写真です。
 ②幹線道路に家がひっくり返っていました。
 ③どうやって,屋根に車が乗ったのでしょうか?そうです。屋根の高さま で津波がやって来た証拠です。
 ④家の前に,油か何か入っていたタンクがどこからか,転がってきたよう です。
 ⑤そして,2時46分,地震が発生した時刻を示した時計です。
 おかげさまで,校長先生は家族が亡くなったり大きな怪我をしたりせず,家も流されず無事でした。ですから,元気一杯,日々安否確認に歩き,子供たちに会えれば笑顔で接しました。しかし,いったん町に目を向けると,一面がれきの山や車が重なり合う有り様に,さすがに心が痛みました。
 これが,校長先生が見た,11年前の3月11日から数日の事実です。今は,東日本大震災,津波と検索すると,当日の映像を見ることができます。しかし,映像からは,伝わらないものがあります。それは,臭いです。気仙沼は港町で,電気が止まったために,数多くあった魚の加工場に冷凍保存していた魚たちが一斉に溶け出し,それが腐った臭いを出しました。海からの風が吹くたびに,なんとも言えない臭いが町を覆いました。
 また,場所によっては,まるまる太ったハエが大量発生し,残った建物の壁一面を真っ黒に覆う様子が見られました。
 更に,津波によって道路に打ち上げられた海底の砂や泥が始めは水を含んでヘドロ状でしたが,日に日に乾燥し,風に巻き上げられ,霞のようになりました。そして,今のように毎日マスクを着け,着けずに外を歩くと喉が痛くなりました。これも事実です。
 この11年間で,東日本大震災に関係してお亡くなりになったり,行方不明になったりした方々は約2万2千人になるそうです。
 宮城県では,この震災で亡くなられた方々に,心から「どうぞ安らかにお休みください」と手を合わせ,震災のことを忘れることなく,これからずっとずっと先まで伝え続けていくために,今日3月11日を「みやぎ鎮魂の日」と決めました。
 今,話を聞いている児童の皆さんは,全く記憶にない大きな災害だと思いますが,県内にこの大震災を伝える施設が,数多く残されています。コロナウイルス感染症の流行が収まったら,家族の皆さんと是非訪ねてみてください。
 そして,皆さんもこの後大きくなって海の近くに住むことがあるかもしれません。その時は,「地震があったら津波が来る」ということと,「自分の命は自分で守る」ということを覚えておいてください。
 「災害は忘れた頃にやってくる」と言われます。今日おうちに帰ったら,もう一度災害が起きたときの,家族との約束を確認してください。
 終わりに,教室にいらっしゃる担任の先生,支援員の先生,もしこの後の「時間」と「気持ち」が許されるなら,是非先生方の「あの日の3.11」について,子供たちに語ってあげていただければ幸いです。
 長いお話になりました。最後まで真剣に聞いてくれてありがとうございました。
 以上でお話を終わります。

  2022/03/11   nakazone-es